コーディネーター
中込 絵麻(なかごめ えま)

飲食店開業応援プロジェクトに関わることになったきっかけや経緯についてお話します


【自己紹介】

はじめまして中込絵麻です。

飲食店には様々な形態があり、形態や立地や規模によって様々な策略を練る必要があり、非常に難しい職種ではありますが、非常にやりがいのある職種でもあり、お客様の喜びや笑顔を直接肌で感じることの出来る素晴らしい職種だと感じております。

私の実家も飲食店です。ここから少しだけ私の実家の話にお付き合い頂きたいと思います。

【どうしてこんな場所で?!】

私の父は30代で勤めていたデパートを辞め、飲食の道へ入りました。

蕎麦の世界で有名な「一茶庵」で修行をし、数年で独立しました。修行中はほとんど家には帰れず、幼い私はたまに帰ってくる父を悪気なくも「おじちゃん」と呼んだそうです。

努力の甲斐あって小さいながらにも店を持ち、世田谷で7年間程経営をしておりましたが、「蕎麦会席料理屋をやるからには広い庭が欲しい」と、父親の意向で埼玉の陸の孤島のような場所に移転しました。

まだ中学生の私はとんでもない田舎に来てしまったと文句ばかりでした。
駅から徒歩30分、近所には歩いている人すら居なく、車とトラクターが行き交うような場所。

こんな場所で商売なんか成功するわけはない みんな口を揃えて言っておりました。

埼玉に移転してからは母も仕事を辞め、女将になり、私も休みの日は嫌々ながらも店の手伝い。 遊びたい盛りの中学高校は全く自由のない生活。

何で飲食店の娘に生まれたのか?なんてよく口にしておりました。

【こんな場所がまさかの?!】

嫌々ながらのお店の手伝いもだいぶ慣れたころ「お店が暇ならサボれる!」なんて、家計など全く気にしない当時の私の願望は全く外れ、気づけば父の店は繁盛店になりました。

埼玉の陸の孤島でどうして?

それはゴルフ場に囲まれた立地。

営業時間も最初は14時から17時までの休憩を入れておりましたが、ゴルフ帰りのお客様が1番来店しやすい時間に営業しないなんて勿体ない!
との意見から休憩なしになりました。その変わり閉店は20時と早め。

遅くまで営業したところで人も歩いてないような場所ですから、意味ないのですね。

父親は初めからゴルフ場のお客様を掴むと決めていたようです。
ですから駐車場も広くとり、内装はゴルフ帰りのお客様にゆっくりして頂こうと、靴を履いで 上がる設計。
正座は辛いだろうと奥の個室以外は全席掘りごたつに設計されました。

当時は宣伝にはあまり力は入れておりませんでしたが、近所のゴルフ場のスタッフやキャディに宣伝させる。
そんな方法をとったわけです。

ゴルフ場のお客様はだいたいキャディさんに『このへんで美味しい店ある?』なんて聞くものです。

タクシーの運転手並みにキャディさんは飲食店に詳しいですよ。

もちろん、ゴルフの名門コースが多い地域でしたので、いらっしゃるお客様は味にもうるさい。

あとは味で勝負です。

試行錯誤練ったレシピは今でも繁盛店を守ってくれます。

【お金の大切さと両親への感謝】

もちろん経営に苦しんだ時期もありましたが、大学で経営を学んだ父親ですので、最初の設備投資からしっかり、今後の運転資金のことも考え融資を受け、利息の変動を見ては借り換えを行っておりました。

今となって、両親が口を揃えて『うちは借金ばかりでお金がなかったから」なんて言いますが、私は子供の頃から習い事をさせて頂き、オシャレもさせて頂き、高校も私立の女子校に入れて頂き、全く貧乏だなんて感じたことはありませんでした。

いつも明るい両親と、子供には辛い思いは絶対にさせないという両親の強い思いがあったからなのでしょう。

今では飲食店を経営する両親に感謝。

【私が飲食店の設計やプロデュースを経てきて思うこと】

毎週のように実家に帰る私は、昔は嫌々手伝っていたお店を、今では呼ばれなくても店に顔だしてはお手伝いをしたり、常連さんと楽しく会話したり、心地よく過ごしています。 身近で見ていたから解ること、身近で見て来たから何か飲食店の皆様にお役に立てること、それをモットーに長年飲食店の設計やプロデュースを行って来ました。

しかし1年後自分が作ったお店の前を通ると全く別のお店になってしまっていたり、辛い経験は山のようにありました。

ハード面を作るだけでは本当に飲食店のオーナーさんのお悩みを解決出来るのだろうか?

そんな中、中野克美税理士事務所の代表である中野克美さんと出会い、今回このプロジェクトを立ち上げました。

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